製氷皿というジャンルを超えたシリコンモールド、シュガーベール(レースマット)の専門店を目指しはじめました。オリジナル製作にも力を入れてまいりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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製氷皿って「氷」以外にも、いろんなものが作れちゃう!そんな製氷皿の魅力に取付かれ、イギリス、アメリカ、中国、カナダ・・・集めていたらいつのまにかお店のメイン商品に!今後もコレクションしたくなるような製氷皿をご紹介していきます!どうぞ宜しくお願いします。一度しか入荷しない製氷皿もあるとお思いますので、気になったら迷わずゲットしてくださいね。

キッチン雑貨 通販



当店は10枚でもオリジナルのシリコン
トレイが作れます。その理由は?

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今から1600年以上昔・・・412年ころの現在の奈良県。

額田大中彦皇子が奈良市の郊外、都祁村にあたる「鬪鷄(つげ)」という所で猟をしていました。

そして、都祁の地の鬪鷄稲置大山主(つけのいなきおおやまぬし)が所有していた氷室を発見しました。

皇子はその氷室の氷を天皇への献上品として差し出したところ、 天皇は大変喜ばれたそうです。


これがきっかけとなり、日本古代律令国家に「蔵氷」と「賜氷」という制度が生まれました。


「氷」を献上!?

当時の人々にとって、「氷」は本当に珍しいものだったのですね。

そんな珍しい「氷」は、当然、一般庶民には手が届くものではありませんでした。

もしかすると「氷」という存在そのものを知らなかったかもしれません。

それでも、裕福なごく一部の人たちは知っていました。

いつの世も同じなんですね。


当時の裕福な人たち・・・? どんな人たちか?

それは・・・貴族。平安の貴族の人たちです。




清少納言って久しぶりに聞いたけれど、 その清少納言は「枕草子」で記述しています。

「甘いシロップをかけた削り氷が銀の器に入った涼しげな様子は実に優雅である。」 ・・・と。


すごい!

”かき氷”の元祖的な発言をしちゃっています。




紫式部も「源氏物語」で、

”宮中の女房たちが、夏の夕暮れ時に氷室から取り出した氷を割って、

額や胸などに押し当てて涼をとる様子や、

夏の盛り、源氏の君が青年達に氷室から出した氷を振舞う様子”

を描いています。


「氷」を食べるのではなく「涼」に使う?!

・・・なんという贅沢。

さすがは、貴族。


というわけで、日本では随分前から「氷」が登場しています。


ちなみに、系譜もどうぞ!





「氷」を献上する「蔵氷」と「賜氷」は平安時代以降、一旦衰えます。


しかし、江戸時代になると徳川将軍への献上という形で引き継がれていました。




(加賀藩の将軍家献上のお氷さまの駕籠行列の様子)


清少納言一族が関わっていた、天皇家に氷を献上するための「蔵氷・賜氷制度」。

この制度は鎌倉時代にはほとんど廃止同然となってしまいました。

しかし、加賀藩主前田利常公によって、将軍家に氷を献上する風習が

第14代徳川家茂公に至るまで続けられました。


冬の間に、領内で採取した氷を金沢城内二の丸の貯氷蔵に蓄えておき、

通常であれば10日ほどかかる道のりを、5日間かけて運びました。

金沢より江戸までの約500kmの道のりを5日間!

単純に1日100km。氷の重さは100kgほどだったと言われています。

一旦、前田家の江戸屋敷まで運んで同屋敷の氷室(現在の東大赤門内にあった)に移し、

旧暦6月1日に江戸城内に運び入れていました。


道中で氷が溶けるのを防ぐために、氷を2重造りの長持に入れ、

熊笹や木の葉で巻いてムシロとコモで包んだうえで白い布を被い、

更に金沢より江戸まで要所ごとに設けられていた天然冷蔵庫の雪室(ゆきむろ)で

保冷し直すとともに、ここで待機していた人夫(運ぶ人)が交代して江戸まで運んでいたようです。


文献は残っていないようですが、このように夏場に苦労して氷を運んだのは初期の頃で、

いつの頃からか、前田家の江戸屋敷の氷室を増設して、ここで夏場まで氷の状態を維持させて

旧暦6月1日に江戸城内に運ぶようになったようです。


有力大名の加賀藩からの献上は、江戸の人々にもよく知られた夏の行事となりました。

加賀藩の「お氷さまの駕籠行列」一行から冷たい”しぶき”を少しでも受けられないものかと

人々が行列をなしたと言われています。


雪国の加賀藩でも、「氷」は庶民には高嶺の花でした。

氷の代わりに麦でつくった氷室饅頭を食べて無病息災を願ったそうです。


金沢市の湯桶温泉には今でも復元された氷室があり、

旧暦6月1日に相当する7月1日に「氷室の節句」の祭りが開かれています。


しかし、こうして苦労して献上した氷を将軍様は口にしたのでしょうか?

どうも口にはしなかったようです。


江戸市民の生活ぶりを著した「東都歳時記」によれば、加賀藩から献上された氷は

「・・・是は雪塊にて、土中に埋め置きし物なればにや、土芥などの打ち雑ざりて頗る清からず、

されば御台所はお手を付けず分け下さる・・・」とあり、汚れが酷いために将軍はこれを口にせず、

大奥など周囲の者たちに下賜されていたようです。




幕府の侍医だった桂川甫周(1826〜1881)の次女、

今泉みねの回想記「名ごりの夢―蘭医桂川家に生まれて」(平凡社・東洋文庫)に、

父親が城中から下される氷について

「私の子ども時分は、氷をいただくなどということは、

ほんとに一夏にたった一度だったようにおぼえます。……」と著しています。


このように、江戸城で氷を頂いたとの記述は他の文献にも見られ、

いずれも口にするのではなく、手のひらに持ってその冷たい触感を楽しんでいたようです。

清少納言のようにかき氷にして口にすることはまず無かったのではないかと思われます。

清少納言の時代は、いわば律令という国の法律によって確立された”賜氷システム”でした。

これに対して、加賀藩による蔵氷・賜氷は、一大名の言わば余興によるものでしかありませんでした。

ここに「氷」への思いの差が出ていますね。


それでも200年以上も続けられてきたのは、「お氷さま」「氷室饅頭」などと、

夏の風物詩として江戸市民に親しまれていたからだと思います。

このような市民文化を重視した家康の意向が後の将軍にも受け継がれたのでしょう。

余談ですが、こういうことは「飛脚」の技術の発展にも貢献したんですね、きっと。



時代は幕末期。

アメリカ人リズレーは、慶応元(1865)年5月15日、中国から輸入した天津氷を売り出した。

リズレーは外国人居留地の103番(現在の山下町103番地)辺りでアイスクリーム・サロンを開きました。

これは記録上では日本でのアイスクリーム製造・販売第一号です。

しかしリズレーは翌年10月、日本を出国してしまいました。

そのため横浜開港直後から輸入されていたアメリカ産天然氷のボストン氷・・・

「ウェンナム湖の氷」が、「氷」のブランドとなとなりました。

これはアフリカの喜望岬を経由して半年以上をかけ横浜港に到着する氷でした。


すごい!

加賀藩以上の努力と技術がなせる運搬技術です。

この氷は、外国人の医師たちが治療用に用いた氷でした。

当然ながら、輸入品なので値段が高い、高い!


これに商戦を挑んだのが中川嘉兵衛でした。

嘉兵衛さんは莫大な借金を作りながらも"氷業"に夢をかけていました。

試行錯誤の末、函館五稜郭の天然水を商品化することに成功しました。

明治2(1869)年初めて函館氷の出荷に成功しました。

その氷は輸入物のボストン氷に比べて安価で手に入れられました。

北海道開拓使の援助も取り付けて、明治5年ごろには「天然氷」は全国的なブームとなりました。

「氷」は輸入品にうち勝った国産品の第一号となりました。

輸入氷を扱うバージェス商会との商戦に中川嘉兵衛の「函館氷」は勝利を収めました。





この年6月、町田房造が馬車道(常盤町五丁目)で氷水店を開き、氷とアイスクリームを販売しました。

これは、中川嘉兵衛の安く手に入る「函館氷」のおかげだろうと思います。

町田房造の氷水店では、明治2年の夏にが日本人として初めて

アイスクリームを「あいすくりん」の名前で売り出しました。





現在では、5月9日がアイスクリームの日となっています。

この日は馬車道で無料の「馬車道あいすくりん」が配られます。



しかしながら、その裏で困った問題も発生しています。





明治11年9月22日に出された、「不潔氷」の製造を取り締まる公文書の発行。

安い天然氷が売れだすと、清潔ではない氷まで出回るようになりました。

これは、いつの時代も同じですね。

儲け主義にだけに邁進する事業主はココにもいました。

当時はコレラなどの疫病も多かったために、政府が取り締まりに出たのが先ほどの公文書。


ちなみに、中川嘉兵衛が販売した天然氷には「天然氷」「函館氷」という文字と

龍が舞う図柄がデザインされていたといわれています。

このデザインは日本の夏によく見かける「氷旗」のルーツだといわれています。


しかし、一大ブームを起こした「天然氷」もさらに安価で氷が作れる

「製氷機」の発達に伴い衰退し始めます。

さらに安価な機械氷が急速に拡大していきました。

当然、中川嘉兵衛はいち早く機械製氷に着目します。

そして日本初の機械製氷会社を設立しました。

中川嘉兵衛がこの世を去った翌年の明治31年にこの会社が事業を開始しました。

そのお陰で、より安価な氷が手に入るようになりました。

そうして、現代の日本に繋がっていくわけです。


少し余談ですが、アメリカでの「氷」はどんな歴史だったのでしょうか?

電気冷蔵庫の普及率が低かった頃・・・

アメリカ南部の暑い地域では、生活と氷は切っても切れない関係でした。

どんな小さな町にも、夏の間だけ開店する氷販売店がありました。


ある時、その中の一軒が夏の間だけではなく、

年中無休、週7日、1日16時間の営業を行って評判を呼びました。

それが次第にお客様の要望で、氷に加えて食料品も売るようになり、

現在のコンビニエンスストアの誕生に至るというわけです。


氷があれば食品の長期保存も可能であったと思いますので、自然な流れだったんですね。

しかし、たかが氷、されど氷ですね。

コンビニの誕生のキッカケになっていたとは!


・・・いかがでしたか?

自分でも、まさかこんなに深い話になるとは思いませんでした。

現代においては、冷蔵庫の誕生や「氷」を作る冷凍庫の誕生といった時代背景もあります。

その開発背景と氷の関係を調べると、アメリカとのつながりも色濃くなり話題が広域になります。


ひとまずは、平安〜明治までの歴史をまとめてみました。

僕自身、確かに冷蔵庫の歴史にも興味があります。





それは、また、別のページで。
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